1. 国際通りの誕生

国際通りの歴史は、牧志街道と呼ばれていた通りが、アーニーパイル国際劇場の名にちなんで「国際大通り」と名付けられたことから始まります。1954年に通りの拡幅工事が完了し、商店街が形成されました。6年後には「松尾通り」が「国際中央通り」に、「政府前通り」が「国際本通り」に改名され、周辺の商店街も「サイオン橋通り会」を結成。これで、4つの商店街が「国際」の冠を持ち、1971年に「国際通り」が一本の大通りとして確立されました。

戦前は湿地帯であった牧志街道が、戦後の復興に伴い急速に発展し、外国人記者から「奇跡の一マイル」と称されるほどの繁栄を遂げます。当時は外国人も多く行き交い、「国際」という名前がぴったりの通りとなっていました。

2. 国際通りの変遷と課題

国際通りは戦後復興のシンボルとして、地元の人々が集い、商売が盛んに行われる活気ある通りでした。しかし、時代の流れと共に、大型ショッピングセンターや他のエリアの発展に伴い、次第に地元の人々よりも観光客のための通りへと変化していきます。この変化を嘆く地元の若手経営者たちが、「もう一度地元の人々が集い賑わう国際通りを取り戻そう」と決意し、新たな試みを始めました。

3. 一万人のエイサー踊り隊の誕生とその由来

その一環として、若手経営者たちが集まり、「国際通り夏祭りセール」を開催。このイベントを通じて生まれたのが「一万人のエイサー踊り隊」です。

イベント名である「一万人のエイサー踊り隊」の由来には、単に「一万人」という具体的な人数を目指すという意味ではなく、**「たくさんの人々が集まり、力を合わせる」**という思いが込められています。沖縄の伝統文化であるエイサーを通じて、多くの人々が集まり、心を一つにして踊る姿が地域や通りの活性化に繋がることを願って、この「一万人」という象徴的な数字が選ばれたのです。

この祭りにより、これまで一つの行動を共にしてこなかった4つの商店街が結束しました。3年間にわたる準備期間を経て、自分たちで企画から製作、実施までを行い、エイサーを国際通りに導入。エイサーの文化は那覇には根付いていませんでしたが、各地域の青年団に足を運び、泡盛を手土産に出演交渉を行い、エイサー隊の参加を実現させました。

この「一万人のエイサー踊り隊」は、地元の市民や商店街関係者が一丸となって取り組んだ結果、毎年恒例の大規模な祭りへと成長していきます。

4. 世界へ向けたエイサーの発信と新しいスタイルの誕生

エイサーの魅力を世界へ広げる上で、創作エイサーのパイオニアである**「琉球国祭り太鼓」**の貢献は大きなものでした。彼らは1982年に沖縄市泡瀬を拠点に若者たちによって結成され、伝統エイサーに新しいスタイルを取り入れることで、エイサー文化を進化させました。

新しいスタイルの特徴として、以下の要素が挙げられます

大太鼓を中心とした鳴り物の強調

伝統的なエイサーでは、締太鼓などの軽やかな太鼓が主体でしたが、琉球国祭り太鼓は大太鼓を前面に押し出し、迫力のある演奏を特徴としました。この大太鼓の響きは、力強さやエネルギーを感じさせ、観客に圧倒的なインパクトを与えるものとなっています。

空手の型を取り入れた動作

エイサーの踊りに、沖縄伝統の武道である空手の型を融合させたことで、エイサーの動きに力強さと美しさが加わりました。これにより、踊り手の一つ一つの動作が、力感あふれる見ごたえのあるものとなり、エイサーに新たな魅力を加えました。

独自の振り付け

琉球国祭り太鼓は、各地域の伝統的なエイサーの振り付けに加え、独自のアレンジを行いました。これにより、演舞のバリエーションが増え、見る人を飽きさせない、ダイナミックでエンターテインメント性の高いパフォーマンスが実現されました。

衣装の華やかさ

伝統的な衣装に加え、視覚的に華やかな衣装を取り入れることで、観客に強い印象を与える演出が可能となりました。色鮮やかな布や大きな旗、装飾品などが、演舞の美しさを際立たせます。

パフォーマンスの拡大

伝統的には地域の年中行事として行われるエイサーでしたが、琉球国祭り太鼓はこれをイベントや舞台で披露するスタイルに変化させました。これにより、エイサーが祭りや地域を超えて、国内外でのパフォーマンスとして広がっていく契機となりました。

琉球国祭り太鼓の新しいスタイルは、日本国内に51支部、8か国に30支部を有するまでに成長し、世界中にエイサーの魅力を広める原動力となりました。この団体の活動が、「一万人のエイサー躍り隊」の規模拡大や国際的な注目を集めるきっかけとなり、エイサーを世界に向けた文化として定着させました。

5. 現在と未来

「一万人のエイサー踊り隊」は、コロナ禍で中断を余儀なくされましたが、規模の縮小やオンラインでの繋がりを工夫しながら、現在も続いており、今年で30回目を迎えています。この祭りを通じて、沖縄のアイデンティティであるエイサーを体験し、人々が集い、心が踊る瞬間を提供し続けています。

私たちは、国際通りだけでなく、沖縄全体の活性化のためにも、この「一万人のエイサー躍り隊」を継続し、次世代へと引き継いでいくことが重要だと考えています。エイサーの魅力を通じて、地域と世界を繋ぐこの祭りが、今後も多くの人々に愛され、発展し続けることを願っています。

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